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波を描く

旅と絵と波乗りのこと

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記憶の彼方 

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新しい年を迎え数日後のある朝。

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雲と天空の湿度が織りなす、色彩のイリュージョン。
眼を離せないほどにその色彩は一瞬一瞬、わずかながらの繊細な変容を魅せる。
昏と明。
見えない力に急かされたように移ろう光の変化に反し、悠々と流れつつも慎ましいその時間。

この日は満潮のときと重なって、鏡となった潮たまりのキャンパスに悠然と色が重ねられていく。


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こちらも新年から数日経ったある朝。
陽が昇る前から波打ち際に立ち尽くし、カメラを向けていると・・・。

・・・ん?何かきた。

小さな群れが臆することなく、こちらにイソイソと凄い速さで向かってくる。

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あ!ちどりちゃんだ。
こんなにも近くに。

私がただ唖然と立ち尽くすそのすぐ足元の間近を、ちょろちょろちょろと過ぎて行く。
波でうちあげられた生物を食べているようだ。

波が寄せた瞬間に逃げ、引きに合わせてまた素早く近づいていく。
そのリズミカルな繰り返しを見つめていると、そこに永遠に続く、きれいな曲線が見える。

その一生懸命生きる小さな姿に、胸に溢れる愛おしさ。

でも、ちどりにとって、私はただ波打ち際に立つ大木で、食事の邪魔をする障害物。
こちらがどんなに愛おしくみつめても、私を同じように認識することはない。


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私は鳥が本当に好きだ。
どんな鳥でもいい。
鳥を見ているだけで幸せを感じ、心安らぐ。

でも、野鳥にとってはそんな私の感情の動きなどどうでもよい。
人間なぞ、せいいっぱいその瞬間を生きる命を脅かす、不快な存在でしかないでろう。
騒音と汚染の価値のない存在。
もはや不快さえも感じないかも。

その事実を想い、その度に神聖な驚きとともに、ただ生きるために全てを受け入れる、そのあるがまま純真無垢な小さな生命に感嘆する。


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(*鳥が大きく写っている写真は全てウェブからお借りしています)

ホームポイントの海に行く途中、恐らく河口近くの水門に住んでいるカワセミちゃん。
とても小さな身体なのにすぐに目に留まるのは、この美しい鮮やかな青。

パートナーはいない模様で、ひとり河原の石の上でじっと佇む姿。
キラキラと光る水の流れの前で、この青がとても映える。

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先日は水面の上1mほどでホバリングして狙いを定め、すばやく水に飛び込む姿をとらえることができた。
あ!!
興奮で声が出るところを、カワセミをびっくりさせないように慌てて鎮める。
ほんとうに美しきハンターだ。


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こちらは、我が家の隣の森に毎日のように訪れるシジュウカラ。
まるでネクタイをしているような首下の黒帯で、小さい鳥だけどすぐに分かる。
裏庭にある、身体がやっと通るくらいの小さな排水溝の中に入ったり出たりする姿があまりにも可愛い過ぎて、見つければ息を殺してずっと覗きみている。

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こちらはお馴染のイソヒヨドリ。
どうやら極近くに巣があるようで、その美しい歌声を聴きたいのだが、繁殖期にしか囀らないらしくずっとその時を待っている。

そのほか、アカハラ、ツグミ、セキレイ、メジロ、アオジ、コゲラ、ジョウビダキ、シメなどが隣の森に頻繁に訪れてくれる。
早朝や雨上がりはそれらの鳥が活発に動き回るので、時間があれば嬉々として窓際に貼り着く。


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以前ブログで紹介した、角田さんと野性犬ももちゃん。
何年たっても色つやの良いももちゃんは相変わらずの野性ぶりで、散歩は毎日3時間以上、海岸や道路脇の弱った小動物を食べてしまうことは多々。

先日海で会ったときに、謝らないといけないことがある、と角田さん神妙なお顔。

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(繁殖のため?)茂みにいたバンを命を奪うほど噛んでしまったから。
私がバンを好きだということを知っての有難いお言葉。

例えばそれが自然の掟だとしたら、ただの傍観者である人間の私に責める資格はもちろんない。
ももちゃんは飼い犬ではあるが、人間に媚びず野性の本能を強く感じさせる犬。
たまたま、バンがももちゃんの野性の本能に触れただけ。




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もう2月。
ホームポイントの河口をプカプカ漂い、冬越する可愛らしいヒドリガモが再び北に向かって飛び立つ日は近い。

同じ河口を冬の住処として共有しているカイツブリ、カワウ、バンが姿を消す早春はもうすぐそこ。
もちろん、我が家の周辺に冬鳥として訪れている小さな鳥達も、もう見れなくなる。


渡りをする鳥は、シベリアなど遠い北の国から昼夜問わず飛び続け、毎年決められた径路ですすみ、迷わず同じところに降り立つ。
雨や雪や嵐にも遭うだろう。
こんなにも小さな身体で。
その困難な道筋を、命をかけて河口や隣の森に来てくれているんだ、という何とも言いようのない不思議な自然の恩寵。

星や太陽の位置を体内時計で補正しながら、すすむべき方向を決めるが、幼いころに星空を見た経験のない鳥は、この能力がないらしい。
渡りは遠い記憶と本能が生みだす、この季節を、この日を、そしてこの一瞬を生き抜くための強い欲求なのだ。


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 定期的に渡りを繰り返す生物には、毎年ある時期が来ると、ここではない、もっと違う場所へ、という衝動が生まれる。そして、その場所は、自らの記憶にあるどこかなのか―――    「渡りの足跡」梨木果歩



春を目前に、来年もまたここに降り立ってくれるであろう、鳥の渡りに、陶然と想いを馳せる。




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